大村亘 ドラマー/作曲家 


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6度目のインド 

インドは広い。

今回の渡印で6度目だが、僕はインドの一部分しか知らない。ムンバイという大都市とその街があるマハラーシュトラ州の近郊の幾つかの街とデリーを通り抜けた位だ。

在インド中は必ず遠方から訪問者が訪れる。
今迄に日本はじめ、オーストラリア、台湾と友人が何度か自分を訪ねに来た。
いや、インドを訪ねに来た。
今回も日本から幾人かの比較的近しい友人が来印する予定だったのでそのうちの一人と古都、そして聖地バラナシ(ベナレス)を訪れる事にした。

世界的にも観光地として有名なその街は世界最古の街の内の一つとして知られ、ガンジス河が流れている。河沿いにはガートと呼ばれる古い建造物が無数に立ち並ぶ。ご存知の方は居るかもしれませんが、ガンガ(ガンジス河)は人類が知る河の中でも最も古いものの一つで、その成り立ちには神話の言い伝えがある程だ。壮大な物語なので、ここでは割愛させて頂く。この街はヒンズー教徒達の聖地とも知られ、何年も前から絶対に訪れてみたいとは思っていたので、今回その願いが叶い行く前から気持ちが高鳴っていた。

そして、自分がそこに行くと決める前からその河は僕の心を遥か昔から察知していたのかもしれない。
これはロマンチックな思い込みでも無く、単純にそうとしか思えない出来事にこの街、バラナシで見舞われるのである。
その出来事は幾多にも渡ったが、記憶が新しい内に何コマかハイライトしてここに記しておきたい。

マニカルニカガートという火葬場

ガンガで遺灰を流されると、輪廻のサイクルを断ち切る事が出来、故に魂が人として戻って来なくて良く、この世の苦しみから解放され、涅槃に行けると言われ、それを信じている人々が大勢そこに死を求めて集まってくる。
マニカルニカのその炎は人体を燃やし続けてずっと止まっていないものもあるという。
24時間、365日、それが数百年止まっていないという人も居れば、数千年止まってないと言う人々も居る。
その炎で次々に焼かれれていく死体を眺めていると、時が止まる。生の空しさ、死の中にある美しささえも垣間見える。
そこで、この世の苦しみから解放された魂を愛おしく眺める純粋な眼差しの人々も居れば、涅槃への切符代としてその心の弱みに付け込み、高額で薪を売りつけようとしている者も居る。河に流される時に死体に付いている金銀財宝をクスねて売り付けようとしてくる者も居れば、地球の遠方より訪れ、カメラを装備し、この果てしなく混沌とした人間界の最果ての描写をフレーム納めようとしている方々も居る。

バラナシという街は動物も多い。故に糞尿が街のあちこちに落ちている。気を付けていても踏んでしまう。
しかし、不思議と何度も踏んでいると気にならなくなるのだ。
ふと、火葬場を思い出してみる。人体が焼かれる匂いだ。焼き肉のそれと本質的にあまり変わらない。ただ、精神の中では同じ種の肉体が焼かれているのだ。どこかで何かにえぐられる様に揺さぶられる。しかしその、非現実的な『死』の香りと現実的に対面していると、糞尿の香りは生きているものの匂いなのだ。と気付く。生の営みの一部の匂いが自然と気にならなくなるのだ。

不思議な現象だ。

ガンガという河

神話では女神だそうだ。
昔からガンガは人の営みを祝福し、遥か太古からそれを見守って来た。2018年の今でも、精神的浄化を求めて沐浴するヒンズー教徒始め、世界中の人々から、その街の日常的な洗濯や水浴びまでそこで行われている。
しかし、バラナシのガンガの見た目は汚い。洗濯物の汚れ、トイレの排泄物、死体の灰、ありとあらゆる者が混ざっている。日本から僕を訪れた友人は最初はガンガに入ろうと思ってたそうだが目の前でその光景を見て、躊躇せざるを得なかった。

『きっと肛門から感染するよね。』

そんな畏れを抱きながら、僕らは街を散策し続けた。
そんな中お手洗いに行きたいため、僕らはガンガに隣接するガートの河に面している古ぼけたカフェで用を済ます事にした。
二人とも腸のぜん動を感じていたのは言う迄もない。
先に友人がトイレに入ったがすぐ戻って来た。

『紙が無いんですけど。。』
『インドだし当たり前じゃない。』
『どうやってするんですか、どう見たって清潔じゃないバケツしか置いてませんよ。』
『では僕が先に行って見てくるよ。』

トイレの周りに水道は引かれていない。
当たり前だ、目の前には数千年崇拝されているガンガがあるのだ。ここのトイレもその水に決まっている。
中に入ると、今にも底が抜けそうな便所の脇に古ぼけたバケツがあり、濁った水が入っていた。

これで済ますしかない。

インドでは流れに任せる事しか出来ないシチュエーションがいつも待っている。
これもそのうちの一つだ。
僕は諦め、用を済ませた。

戻って友人に、

『水で洗いな、怖がらなくて良いよ。怖がらない事だね。』

彼も行って戻って来た。

そして僕らは顔を見合わせた。

『最初怖がっていた、畏れていた事が目の前に用意されていたね。
ガンガに下半身入れたのと変わらないよ。』

既にガンガは、僕らの躊躇する心も知っていたに違いない。
そして、事が済んだあと見下ろすその河は眩しく輝いていた。不潔な印象は不思議と消え去っていた。
僕らが居たカフェはHimalayaという文字の上に立つエベレストカフェという場所だった。

サドゥー (修行僧)

河沿いには瞑想しているサドゥーが多い。
観光客目当てのサドゥーも居れば、しっかりと行に励んでそうな人も居る。
その内の一人と友人が写真を撮った。幾つか一緒に撮ってもらった。
その間、そのサドゥーは静かに微笑むだけだった。胡座(あぐら)の姿勢は崩さない。
御礼にお金をあげようとした。
彼は優しく微笑んでお金を受け取らなかった。
そして、そのまま行に戻った。
僕らはどこか現代の社会で育まれてしまった自分たちの浅はかさを教えられた気がした。

日本に戻って

會津若松という場所に、ひょんな縁で呼ばれる事になっていた。
これは今回の渡印前からの話である。
その呼ばれたイベントとは関係無いのだが、以前からその街の人でインドに30回以上修行の為に訪れているという人が居るという噂は聞いていた。
彼は主にヒマラヤの高度4千メートル以上の所を10年以上放浪し、そこで瞑想にふけっているサドゥーに教えを求めに足を運んでいたそうだ。

稀有な存在である。

イベントを無事終えた翌日、僕は行きつけのお店へ店主に挨拶がてら訪れた。店主は当日はお休みだったのだが、わざわざ自分の為に出向いてくれ、コーヒーと美味しい焼き菓子をご馳走してくれた。談話に一段落つき、東京に戻らないといけなかった為、帰りの旅路につく前に僕はトイレに入った。その間、誰かがお店に入ってくる気配を感じた。
トイレから出るとそこには仏様見たいな顔をした初老の男性が落ち着いた様相で座っていた。

『ほらコウ君、彼がずっとインドを訪れてヒマラヤを歩き回ってた方だよ。』

そこから話は尽きなかった。
その中でも彼はガンガの源流である四つの地点を主軸に何度も訪れていたという。
ガンガはヒマラヤの山から流れ出ておりその源流には過酷な修行を行っている純粋なサドゥーが幾人も居るという。
何十年も食べていない。
裸足で雪山を歩く。
何年も言葉を発さず、ただ祈るだけ。

等、それらの聖人達を彼はその目で見て来たという。

『はじめてインド行ったときはベナレスだな。二度と来ないと思ったね。けど、気が付いたらヒマラヤまで行ってたよ。
そして、そこにいるサドゥー達があり得ない様な修行に身を捧げているが故に、宇宙の良い周波数をチューニングしてるそうだ。だからこの世界がまだ存在してるともいわれてるんだよね。』

何度もインドを訪れていると、それもとても現実的に思えてくる。

『君もいつか訪れて見てみると良いよ。あの地をね。ガンガの四つの源流がある事を覚えときな。』

その言葉を最後に僕は東京への帰路についた。
わざわざ休日に店で出迎えてくれた店主が車迄送ってくれた。

『不思議だな〜。引かれ合うものなんだね。出会うべき人達はさ。』

と飾り気の無い笑顔で送り出してくれた。
そう、あのお金を受け取らなかったバラナシのガンガで出会ったサドゥーの様に。

インドからの旅はまだ続いてる。
そしてもう既に次の章の予告を見せられているのは、気のせいで片付けることは出来ない程、
現実的に僕の目の前にその姿を現し、微笑んでいる。


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by koomuraa | 2018-03-21 23:07 | InDiA