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 大村亘 ドラマー/作曲家 


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インドで音楽を違う角度から見せられる

ここ2週間はレッスンが11連ちゃんという非常に濃い時間が続きました。

その相間にムンバイでのセッションにあちこち行ったり、John McLaughlinのバンドのドラマーのRajit Barotさんのスタジオに呼ばれ、わいわいセッションしてはインド中華をしこたま食べたり。

充実しきっているインド生活。
しかも、めちゃ食べてるけど何故か太らない。。。

グルジも言ってましたが、
『日本からインドに来るやつは沢山食べてるのに太らないんだ。不思議だ!』

ぼくも、こっちに来て2回程お腹壊してるので、弱冠『細菌ダイエット』みたいになってるのかな?

なにはともあれ、そんな生活の中で考えさせられる出来事に遭遇しました。

ムンバイの電車の中での出来事です。

いつもに比べては空いてる感じでした。解放されっぱなしのドア付近に立って身体を半分外に出すと、風が当たり気持ち良いので空いてるとその辺りにいつも居ます。

停車した駅で裸足の若い女性が乳飲み子をだっこして乗車して来ました。
着古された感じの服を着ていて、明らかに貧困層の住民でした。
彼女は手にカスタネットのようなパーカッションを持っていました。

そのカスタネットで、リズムを叩き出し、歌を歌い始めました。

余談ですが、僕はいままで世界中(ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、アジア)の多種多様な文化の中で一流と呼ばれるミュージシャンを身近で見たり聴いたり、友達になったり、中には幸運に恵まれ、一緒にステージを共にする機会にも恵まれて来ました。

なので、
何が良い音楽で、何がそうでないか』という嗅覚は良い意味で養われて来たと思っています。

その、いままでの蓄積した知識と経験を吹き飛ばすようなリズムと歌を彼女は目の前で披露してました。

決して派手ではなかったです。
自己主張や、押し付けがましさは全くなく、
シンプルで、正直で、『静かな生命の灯火』を感じるような音楽でした。

カスタネットのタイム感は超一流でした。
ぶれなく、芯があって、強いが、果てしなく柔軟で。。。

歌い終わると彼女は手に持った錆びれた缶を持ち、乗客に廻ってお金を恵んで下さいと歩き回ってました。

その刹那、こちらで出来た友人と先日交わした会話が脳裏を巡りました。

友人D『インドは労働環境が劣悪なところも多く、労働者は怪我して働けなくなったりするんだよね。手や足が無い人達を良く見かけるだろ?そういう人達の家族も可哀想で、一家の稼ぎ手が働けなくなると、妻は子供と街に出て、物乞いしたり、売春したり。。するんだよね』

僕は憶測で色々考えました。
彼女はそういう環境の中で歌う事だけで、かろうじて生活を繋げようとしてるのだろうか?
子供が病気したら、医療費も払えないんだろうか?
乗って来た駅がスラムの近くの駅だったのでスラム街の住人だろうか?

しかし、一番思ったのはあの音でした。
練習したりして身につけたものではない音。
なにか、原始的で、生命の鼓動に一番近いような音。
聴いた事ないような音。

彼女はきっと、無心で、抱きかかえる赤子の鼓動を繋げる為だけにあの瞬間歌ってたんじゃないかなと。
お金では買えない、とても大切な何かを見せられた気がしました。

そこで、いままでの自分や、身の回りの環境、人々の音楽観ががらりと変わるような感覚にとらわれました。

練習するのは何故か?
テクニックを身につけるのは何故か?
逝去した偉人の知識を借りて研磨するのは何故か?
方法論を学ぶのは何故か?
今最新型や流行のスタイルを聴いてそれに似せたような音を出す/出したがるののは何故か?
キャリアを考え、広告活動したり、コネクションを広げて行くの何故か?

。。。。。。。。。。その先には何が待っているのか?

彼女の歌とリズムに秘められた、『大切な何か』が無ければ上記のものは全く無意味なんだな。
とさえ感じました。

人それぞれにはドラマがあって、理由はどうあれ自分の信じる道を進んでるんだと思います。
彼女は着飾る事なく、自分の現状を受け入れ、歌っていただけ。
だから心に響いたんではないかなと思います。

インドに居ると不意をつかれる様な経験によく遭遇します。
だから、ここは世界中の人々が来たがる場所なのかも知れません。
色んな背景の人々が、それぞれの求める何かを求めてはここに来て、
全く予想しなかったような美しさや醜さも目の当たりにする。

音楽をする上で上記の経験を回想していた数日後の夜、友達にになった若手のミュージシャンの一言が心に残りました。

『僕は音楽家で、勿論楽器を通じ音楽ももっと上手くなりたいけど、
それ以前に人間として精進したいな〜』

彼も素晴らしい音を持っていました。

終電間際のムンバイMahalaxmi駅のプラットホーム。
インドで音楽を違う角度から見せられる_e0210611_147811.jpg

by koomuraa | 2013-03-25 14:13 | InDiA