大村亘 ドラマー/作曲家
by koomuraa
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金沢市民芸術村Artist in Residence 2023を終えて
金沢市民芸術村Artist in Residence 2023
2023年度金沢市民芸術村のArtist in Residenceに選定されました。
音楽を通じて冬の北陸に誘われるのは平凡な休日より祝福されてるように感じるのは、冬景色に憧れを感じるからでしょうか。(雪国の人々からしたら雪かきの苦労も知らんくせにと突っ込まれそうですが・・・)
今回のプロジェクトに向けての寄稿文をブログでも共有したいと思います。
公演に向けて
『万物は流転する。』 ギリシャの哲学者ヘラクリトスの言葉です。 常に変わっていくことこそが、この世界の変わらない法則であると思います。空を見上げても同じ空模様を見ることは出来ません。同じ名前のついた川に入ったとしても、それは昨日入ったものとは別の水が流れていて全くの同等とは言い難いでしょう。存在する全てのものはこの常に変容する世界の法則の中であらゆる物事を感じながら生きています。人は記憶というツールを使って何かしらの法則を見出し、それらを形に収めシステムやデータとして後世に残してきました。その膨大な空間と時間の中であらゆる形が現れては消え、消えては現れたことでしょう。音楽もその現象の一つだと思います。 形は無いのに心に残る。 そんなエネルギーに魅せられて早30年。 その感覚を共有出来る仲間達とジャンルや固定概念にとらわれない音空間を創り上げ、同じ空間に居る皆様と共有出来たら嬉しく思います。
大村亘(2023年度金沢市民芸術村レジデント・アーティスト)
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NCPA記事
音楽には幾つもの側面があります。音楽要素の背景にはその音楽特有の地理的、文化的要因に因んで育まれ、何世代にも渡って蓄積されて来た知識や知恵が内包されています。熟練していようが、精進し続ける音楽家であろうが、その音楽の果てしなさ、限りなさを実感する事でしょう。私自身、長年の音楽生活の中で様々な音楽体験をする事に恵まれて来ました。その体験の一つ一つが音楽というアートフォームが擁する『美』や『謎』を更に紐解きたいと思う原動力なり自分を突き動かして来ました。
あらゆる音楽の中で共通する1つの要素は『即興演奏』です。音楽における即興要素の主な代表例を挙げるするとアフリカンドラミングやガメラン音楽、そしてインド古典音楽などに見受けられます。この記事では打楽器奏者としてタブラを学習する事によって紐解かれていった即興芸術の奥深さについてお話し出来ればと思います。
私がタブラの学習の為にインドを訪れる前までは主にジャズという分野の音楽でフリーランスのドラマーとして活動していました。今までにジャズの王道とも言われる録音作品や現在アメリカで最先端と言われるものの生演奏などに魅了されてきました。そういった音楽に触れながらも自分が音楽的な『雑食』であったせいか、未だに知らないリズムや即興の中での『思考回路』を常に探し求めていました。そんな中で出会ったのがドイツの名門レーベルグラモフォンに収録されたラヴィ・シャンカールの伴奏をしていたアララカ・カーンのタブラ演奏でした。その時の衝撃は今でも鮮明で、未だかつて想像したことの無いリズムの宇宙に意識全体が引っ張られて行く様な感覚に陥ったのを覚えています。この体験が私の師匠であり、アララカ・カーンの愛弟子であり偉大なタブラ奏者であるヨゲッシ・サムシー師に導いてくれます。彼の教えの門を叩いてから、自分は『リズム』というものを根本的に一から学び直している感覚になりました。全て口伝えで教わる『タブラ』という伝統芸によって自分の記憶力を試され、その言語が持つ特有の細かいニュアンスへの理解力を試され、一つ一つのコンポジション(リズムのフレーズ)の詩的要素が『ターラ』と呼ばれるタイムフレームにどの様に収まっているかを考えさせられました。無限に存在するフレーズやバリエーションが何百年も口伝で伝えられてきた事自体に何度も心動かされました。この豊かな伝統芸を学習している中で一つの気付きが自分に訪れます。師であるヨゲッシ・サムシーさんの言葉を借りると、
『芸術そのものが保つ知識と知恵は、芸術家そのものよりも偉大である。』
偉大な奏者本人からその様な言葉が聞けた事に、『謙虚さとは何か』と改めて問う体験をしたことを覚えてます。そしてその後の自分の音楽人生で師の言葉を何度も考察する事になります。膨大な量の音楽的知識を蓄積し、それらを整理した上で自由に、即興的に使い分けられる様になる為には最終的に『音楽そのもの』に身を委ねるしかありません。それは自我の消滅を意味します。演者とは無限に広がる音楽の知識と知恵と繋がり、それらを具現化する乗り物又はその通り道となるだけです。この現象は演奏をしている時に起こる時もあれば、練習に没頭している時に起こる事もあります。ミクロのスケールでは数えきれない程の反復練習の中に各フレーズがどの様に機能しているのかが見えて来ると同時に、マクロである鳥瞰図的な視点で細かな音楽的素材の設計図の様なものも浮き上がって来ます。まるで縦横だけの構図に留まらないリズムのホログラムを眺めているかの様に。
タブラの研鑽を積んでいく中で気が付いたことは、全ての音楽的即興を追求するには厳格な規律を学ばなければいけないという事です。伝統的に正しいとされるテクニックを身に付けるまでに何度も失敗することもあり、失敗を通じ忍耐力が養われ、その中でクリアした課題の先にはまた次の課題が待っています。その行程に終わりはなく、道は続いて行きます。考えてみると、それは人生そのものに似ているのかもしれません。人は生を受けてからその魂はあらゆる体験をします。その旅に決まりごとは無く、一つ一つの体験が何かの学びを解錠し次へと進みます。その中で人は『即興的』に今まで蓄積してきた知識と知恵を使いながら更なる経験へと誘われます。そんな旅の中で人は、この世界の果てしない美しさを時折目の当たりにするのだと思います。音楽の無限の可能性と人生が相似しているが故に、この先も『即興とは何か、音楽とは何か』を探求し続ける事でしょう。