人気ブログランキング |


 大村亘 ドラマー/作曲家 


by koomuraa

プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

カテゴリ

全体
iNtErViEwS
thoughts
InDiA
cD rEvIeWs
LeSsOn
mUsIc
tRaVeLs
未分類

以前の記事

2019年 05月
2019年 02月
2018年 12月
2018年 10月
2018年 03月
2017年 09月
2017年 06月
2017年 04月
2016年 12月
2016年 05月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 08月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 08月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 10月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2010年 10月

フォロー中のブログ

メモ帳

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

ソロ後記
at 2019-05-24 13:52
物乞い老婆とお寺
at 2019-02-18 16:50
インドでのちょっとした思い出
at 2018-12-07 13:01
魚津ミュージックキャンプ20..
at 2018-10-24 11:43
ニューヨーク録音
at 2018-03-26 22:39

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

ソロ後記

ソロコンサート無事終了しました。

ドラムセットのみならず打楽器は一般的にタイムをキープしたり、アンサンブルの中で伴奏に回ることが常です。伴奏のスタイルも、インタープレイが豊富で一見自由なものから、ビートを刻みバンドの土台を担うものとアプローチする音楽に因って異なります。そんな中で他の楽器に混ざる音色、周りの楽器と演奏する場に合う的確な音量選び、それらをコントロールするタッチ、余白の扱い方、音楽全体のペーシングなど、書き始めたらケアしなければいけない事は多岐に渡ります。そういった点を考察する上で育まれてきた自分なりの感性というものは何処かに蓄積されていて、その素材だけで音楽を創り始めても良いかなと考え始めました。

リズムはありふれた日常に溢れています。

時計の針、デジタルの数字で刻まれる時、今日から明日の間、食事のテンポ、交差点で交わる人々の足音、
といったミクロなものから、
生と死、
季節の移り変わり、
ある種が宇宙のサイクル中で誕生し進化しては消えていくその様。
そんなマクロなイマジネーションも時間や周期の中での現象であり、それがリズムそのものであるようにも感じるのです。

個人的にはそれらの現象に内包されるものをハイハットの渇いた音粒の中で見出していきたいし、スネアドラムの音色から人間のあらゆる感情や哲学を抽出したい。そして、バスドラムの発する低音部の周波数の中にまだ人類が解明していない宇宙の構図を垣間見る事が出来たら良いなと想像しています。
このような事を言葉で紡ぐ事に少し戸惑いがありましたが、自己の精神と自分が肉体として存在している空間を旅する中で何年か後に見返した時の為に、出発点を記録しておきたかったのです。

この考えは自分の手元を離れ、人の手に渡った時にどう伝わるかはわかりません。しかし、自分の中での思考がクリアになればなるほど、他人にどう受け取られようが気にならなくなってきました。
特に最近、そう感じます。

演奏当日は意外にも多くの方がその音楽に身を委ね、遠方からも耳を傾けに駆けつけて頂き、終演のちも沢山暖かい感想を頂きました。

次はいつになるかわかりませんが、また年内に演奏出来ればと思います。

貴重なお時間ありがとうございました。
e0210611_13523822.jpeg

# by koomuraa | 2019-05-24 13:52 | thoughts | Trackback | Comments(0)

物乞い老婆とお寺

ムンバイは熱帯なので、街中の木々が本当に豊かです。
ココナッツの木や、ピーパルと呼ばれる木、バオバブっぽいものも含め元々ある木々と後で植えられた外来種がごちゃごちゃに入り乱れています。

そんな中、太陽が燦々と降り注ぎ、木々の葉の間から零れ落ちた太陽の光が影と仲良く踊り、地面にあらゆる模様を描いていきます。

散歩するのに楽しく無いわけがありません。

なので、インドにいる時はよく散歩をします。
単純にどんな街も歩く程より深く知れるものはないと思うので。

さて、そんな気持ちの良い環境の中で小さなお寺が見えて来ました。
上機嫌で太陽の温もりを身に纏って自然の恵みに感動してる最中、そのお寺の目の前で老婆が物乞いをしてるのを発見しました。

なるほど。
お寺の前でお金くださいと陣取るのね。
信心深い人の心を揺さぶりながらお金を稼ぐんだ。
強かだな。
意地汚いのかも?

等、色んな思いが脳裏をかすめて行きました。

その一瞬の隙をついて、

『そこのあんた!金置いていきなさいよ!』

とガミガミのしゃがれ声で怒鳴られ、やはり意地汚い老婆なんだなーと思いながら通り過ぎて行きました。

しかし、
数歩歩いてみてふと違う思いが湧いてきました。

実際に困っているのは生きてる生身の老婆。
中は綺麗に祀られた神聖な祭壇。
人々は自分が創り出したイメージの具現化にお金を払い、目の前の自分と同じ人間にはなかなかお金をあげない。

逆に。

その老婆が神の化身なのかなと。

お寺に納めるお金を、目の前の本当に困って苦しんでいる人に全て無償で与える人はどれだけいるのだろうか?
神に賽銭するのは自分の願い又は欲を満たしたい行為の一つ。それを犠牲に路上の老婆へお金をあげるのだろうか?
インドはカーストが根強い。路上に居る人は自然と階級の低い人々という認識、偏見が強い。
それらのバイアスを払拭してその状況の中で老婆を見つめると、人間社会の矛盾への問いを投げかけてくる存在に見えてきました。
故に神様の化身なのかなと。

自分がもしお寺の神様だったら、彼女に乗り移って通り過ぎて行く人々を観察していたに違いない。

そんな事をふと思いながら清々しく晴れたムンバイの小道を更に奥へと進んで行きました。
e0210611_17253473.jpeg

# by koomuraa | 2019-02-18 16:50 | InDiA | Trackback | Comments(0)

インドでのちょっとした思い出

『そもそも何故インドに行き始めたんですか?そして、何故行き続けるんですか?』

よく聞かれる質問です。
長い歴史を持つタブラの言語を習得したい。
が主な理由ですが、他にもあります。

僕が渡印する前の2012年は震災からの一年後、ここでわざわざ言葉にしなくても、多くの人々にとっては不安に苛まれながらも前に進むしかないという時期だったのではないでしょうか。単純に言葉では語れないわだかまりが社会全体に渦巻いてた様に記憶しています。

その時周りからよく耳にした不安や不満の言葉に自分の精神が疲弊していくのを露骨に感じていました。
このままではまずいなと、環境を変えなければ蟻地獄に吸い込まれてしまう、という感覚でした。
誰のせいでもなく、上記の渦巻いていた何かに。

インドに出向くようになり色んな事が起きました。
日本での仕事を沢山断ってでも行き続けようと思うようになりました。
そもそも、演奏して稼ぐ『仕事』ってなんだろう?
と自問するようにもなりました。

現代は経済的な歯車で社会が回っているので、共通価値のお金を無くしては自由に行動出来ません。
なので、人は自由と時間を勝ち取る為に自由と時間を犠牲にしながらでもお金を稼ごうとするのかもしれません。

そんな滑稽な矛盾は現代人の誰しもが抱えていて、僕も例外ではありません。
それに思わぬ形で気付かされるわけです。

とあるムンバイでの出来事に。

ムンバイにあるハコで殆どギャラの出ない演奏をお願いされる様になりました。
国際的に様々なミュージシャンが出入りするのですが演奏レベルは千差万別です。
演奏技術が乏しい人は乏しい、素晴らしい人は文句なしに素晴らしい。必然的にその晩の音楽的内容はちぐはぐになる事もあります。レベルのスペクトラムの振り幅が広いが故に。
それは思っている以上にチャレンジングな事で、上手い人達や、自分とセンスが似通う人達と一緒に演奏するより遥かに難しいのです。
それでもそのハコの仕切り主さんは、
『今日も聴きに来てくれた人の魂の洗濯が出来たね。』と微笑んでいました。
この時、個人的にはその言葉を素直に受け止めれませんでした。
音楽的な内容が自分の思う理想に近いもの、又は程遠いものと混沌としていたからです。

そんな彼にとある日曜日の午後お誘いを受けました。

『スラムの子供達に音楽を教えてるんだ、君も来ないか?君が彼らに伝えたいリズムなりなんなり自由にやってみてくれ。』

戸惑いましたが、出向きました。

そこには4人のスラム出身の男の子達が待っていました。
とりあえず、シンプルなリトミックみたいな事を始め、色んなフレーズを少しずつ発展させながらキャッチボールするような形で音遊びが始まりました。
その時のその子達の澄んだ瞳と、音楽が楽しくてしょうがないという表情ほど溌剌としたオーラは後にも先にも見た事がありません。
瞬く間に2時間近くが過ぎ、満面の笑顔でお礼をされ彼らはスラムへと帰って行きました。

後で彼らの父は1ヶ月、アメリカドルで$100に満たない月給で一家を支えている事を知りました。
そんな中で音楽が彼らの心の中で踊り、その一瞬一瞬を楽しみ、なんとも形容出来ない見た事のない純粋なそのエネルギーに、逆に自分の魂が洗濯された感覚を覚えたのです。

数日前、自分の小さな音楽的理想像の為に、『人の為に音を届けるとは何か』という本質的なメッセージに気が付いて居なかった自分に気付かされるわけです。

芸術的な理想や、この世での名声、評価は全て一過性のもので、如何なるものでも主観に囚われる事で大切な何かを見落としてる事もあるんですよ、とインドはその子達の素直な笑顔を通してそっと囁いてくれたのかもしれません。

『スラムの子供達に教えないか?』

いや、最初から僕の方が教わる立場だったんです。
インドってそんな事ばかり起こります。

なので、来年もフラリと行ってきます。


# by koomuraa | 2018-12-07 13:01 | Trackback | Comments(0)

魚津ミュージックキャンプ2018を終えて

日常の隅々に喜びは存在する。

私達は時にそれを忘れてしまっているだけだ。
それを思い出させてくれるきっかけを求めて人は非日常を求める。
スポーツ観戦から芸術鑑賞、話題の映画を鑑賞しに映画館へ足を運んだり、有名アーティストのライブを堪能する。
多くの人が選択するそれらは、社会的な認知度がある程度高い。
自然な流れだ。不自然なくらい情報過多な現代社会で飛びつきやすい情報は、
不特定多数の人間が公に評価しているものであることが多い。
故に自分の本心が心底求めてるものかどうかということを熟考する前に、
抽象的な大きな流れに乗せられることも少なくない。

魚津ミュージックキャンプにはそのような認知度は無い。

あるのは、

辺鄙な場所に佇んでいる新川学びの森天神山交流館。
古ぼけた宿舎。
見慣れない丘陵から見下ろせる日本海。
そして、自分の日常には居ないが、心の奥底では同じ何かを求めて集まってくる人々。

ここに集まってくる思いは、1対1の人同士がお互いの何かに興味を持ち、
誘い、誘われ、自分に足りない何かと向き合う時間を作るためにやって来た人であることが多い様に思う。

現代社会で生きることは思っている以上にしがらみが多い。
仕事に割かれる時間、未来への希望と不安、生活を回すために犠牲にしなければならない時間。
時は進むにつれて勢いを増していき、このままあっという間に人生そのものが終わってしまうのではないかという錯覚に捕らわれた事の無い人は居ないと思う。

このキャンプに来る人々はそういった様々な心の荷造りもして参加している様にも感じる。

数日間しか居ない人から、期間中ずっと滞在している人も居る。
その中で、音を出し合う時間、さっきまで知り合いでは無かった人と言葉を交わす時間、一人で散歩して悩む時間、普段食事を一緒にしない人の表情を見る時間、一人で調理する時間、みんなで調理する時間、相部屋の非日常的な就寝状況。
ありとあらゆる日常のワンシーンが凝縮された時間の中で点在するが故に、非日常が広がっていく。

そんな中で自分の意識の深層が様々な表情を見せる。
悩んでは曇り、微笑んでは晴れ、気が付いたら消え、澄み切った表情でまた現れたりする。
あらゆる意識の情景を駆け巡る中、立山連峰は曇っていても、晴れていても、泰然たる様相で見守ってくれる。

あらゆる感情や意識の動きの中に自分のリズムや他人のメロディー、そして集まった人達との調和という意味合いに於いてのハーモニーの存在を感じ取れる。そこで普段とは違う時の流れの中で感じることがある。音楽は音楽から生まれて来るものではなく、色とりどりの日常という大海原から寄せては消えるかけがえのない瞬間瞬間と向き合える喜びの結晶ではないのかと。

ふとした時にそんな事に気づかせてくれる時間をこのキャンプは提供しているのだと思う。
コンクリートジャングルに戻った時にふと気付くかもしれない。
はたまた時を経て、違う形になり自分に戻ってくるかもしれない。

そんな時、心の中で深く頷ける様に思う。

日常の隅々に音楽は存在する。

# by koomuraa | 2018-10-24 11:43 | thoughts | Trackback | Comments(0)

ニューヨーク録音

ニューヨークでスタジオレコーディングするのは二度目です。

前回はBungalowの処女作、Metropolitan Oasisを収録する為に、アルトサックスの山本昌広がまだニューヨークに在住だった頃にメンバーで訪れ音の記録を残しました。

あれから7年。

思えばあっという間でしたが、あの頃のBungalowの事を思い出すと懐かしい気持ちと、つい昨日の事の様にさえも感じます。

数字にされた月日が流れるのは速いものです。
しかし、本質的な時間の流れ方は皆が信じ込んでいる時間のシステムとは違うのではないかな?と、思う事も良くあるのです。今回の録音もあっという間に遠い過去の棚に納まり、そして色褪せない親しい記憶になる様な予感がしています。

今回のプロジェクトのパートナーDavy Mooneyとは丁度そのBungalowの1st Album制作した時期に知り合いました。彼と大学の同期だったJeff Curryという日本在住のとても良い感じのベーシストが紹介してくれたのが事の発端でした。
Jeffの紹介以前から僕はアメリカのジャズのシーンを絶えず新譜やYoutubeで追ってたのでDavyの洗練された演奏能力と音楽性は知っていました。肩書きもThelonious Monk Institute卒、Herbie HancockのバンドやBrian BladeのFellowshipにも参加したり、Thelonious Monk Competitionで3位(その年の1位はLage Lund, 2位がMiles Okazaki)と個人的には革新的な個性を持った若手の猛者の中から頭角を現している存在だったので会うのが楽しみで仕方ありませんでした。

実際会ってみると、人柄は温かく、とても落ち着いた物腰で、知性的で人間としてとてもしっくりとくる存在でした。
それは彼の音楽にも現れていると思います。

それからセッションやライブを重ね意気投合し、いつか作品を作りたいねとお互いに話していました。

月日は流れ昨年の半ばにDavyから日本を一緒にツアーしたいという申し出があり、色んな偶然が重なりニューヨークで作品を作れる機会が目の前に現れました。結果僕一人ニューヨークに飛び、お互いのオリジナルを半分ずつ持ち寄り作品を作る事となりました。

集ったメンバーはJohn Ellis, Glenn Zaleski, Matt Clohesyという、ニューヨークでもコンテンポラリージャズからストレイトアヘッドなものまで美しい感性で仕立てる能力に長けた面子でした。上記メンバーの肩書きはここでは割愛させて頂きますが、彼等について少し綴りたいと思います。

先ず、ピアニストのGlenn Zaleskiは数年前からの友人です。演奏も幾度か重ねた仲であり、彼の結婚式にも呼ばれ、通訳を任せれたり等、気心は知れていました。Glennのハーモニーのセンスとピアノのタッチは抜群です。
そしてなにより、オリジナル曲が内包している物語を詩的に紡いで行くセンスに長けています。
僕の書くオリジナル曲は少しクセがあって、通常のジャズがとてもお上手な人に任せても任せきれない部分が点在しています。ジャズはコードやメロディーに沿って、その音楽の歴史上『Hip』、いわば俗に言う、イケてるフレーズをアドリブで紡いで行く所作が幾つもあります。アドリブのスタイルは吸収して来た音楽に因って変わりますし、タイムやグルーブのジャンル分けというのも、ミュージシャンの間に確執が有る様に感じます。音楽家の主観に因るジャズらしくなる金字塔テンプレートは幾つも存在します。
自分の書く曲に関してはその様なスペックだけで臨んでも、どうも?が残ってしまう演奏になりやすいのです。
いわば五感を超えた第六感を問われると言えば解りやすいでしょうか。あくまで五感で処理しきれるところを押さえた上でです。Glennのピアノは伴奏、ソロ、双方に於いてもそのジャズの金字塔を作る知識から来る高いスペックを超えたところで音を出してくれます。

テナー奏者にはとどまらないマルチホーン奏者のJohn Ellisは長年の憧れでした。
数居る怪物レベルのニューヨークのテナー奏者の中でも彼の音の立体感は飛び抜けていると感じていました。
Kendrick Scottのバンドで彼を観たときは、シングルラインなのに、ハーモニックな要素を出せるドラムやピアノと引けを取らない、いやそれ以上の音の凹凸を有機的に体現していました。音色とタイム感が抜群なのは言う迄も無いのですが、ブレスの使い方に関する意識が非常に高かったです。そして、職人的な引き出しを無数に持っているにもかかわらず、セッションやリハーサルでは、バンドに対する建設的なアイデアを次々に出してくるタイプでした。
これはオーストラリアやニュージーランド、ヨーロッパ、そして勿論アメリカのトップレベルのミュージシャンに通ずる事なのですが、具現化されてないアイデアをその場形にして行く決断速度が非常に速いです。

ベーシストのMatt Clohesyは今のニューヨークのアイコンとなるプレイヤー達のファーストコールのベーシストで、ありとあらゆる録音に参加して来ています。彼のクレジットを見ると、百戦錬磨である事が伺えます。元々彼はオーストラリア出身で、僕は彼がニューヨークに移った当時にオーストラリアで当人の演奏を観ています。当時大学生1年生だった自分は、Mattの音の良さ、初見の強さ、伴奏に於けるペース配分の良さ、ソロのシンプルかつ深く歌わせるセンスは大好きでした。
僕の憧れて来たドラマー達と日々演奏している人なので、少し緊張感は有りましたが、一緒に音を出し始めると楽しさと心地良さが勝って、この感覚を提供出来るからこそ、多くのアーティストから信頼が厚いのだなと腑に落ちたのです。

そんな彼等とは3時間程のリハーサルを一度やっただけでその翌日から2日間スタジオに入り、2日目の午後にはほぼ完成というスピードで今回のレコーディングを無事終えました。

今聴き返してもその短期間でここ迄仕上げてくれるのは、当人達の腕がどれだけ良いかの証明ですし、この感覚とクオリティーで絶えず音楽をやらないと、この先の進化は望めないなという自分への戒めにもなりました。

という事で、本作品Benign Strangers(穏やかな、知らない人々)←は直訳ですが意訳すると、

『知る由のなかった和み』

の様なニュアンスです。

じっくり聴いて欲しい一枚です。

e0210611_22241605.jpg
                 BrooklynのBig Orange Sheep Studioより

     エンジニアはKurt Rosenwinkelの作品で大好きなHeartcore等も手がけたMike Perez Cisnerosさん



# by koomuraa | 2018-03-26 22:39 | mUsIc | Trackback | Comments(0)