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 大村亘 ドラマー/作曲家 


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クラウドファンディング成功報告

Polyglotインドツアーのクラウドファンディング、無事終了しました。
目標額を大きく上回る128%の支援率をもちまして募集終了致しました。
ご支援頂いた皆様本当にありがとうございました。

今世界では様々な事が日々起こっています。
自然災害、政治不安、経済格差、教育格差、偏見差別、情報リテラシーの格差。。
書き上げたからきりがないのですが、それらの不平等の中で少しでも調和やバランスを見出せていけるものはないかとずっと考えて来ました。

2015年度、文化庁新進芸術家海外支援制度の一人として選ばれた時、面接で話した事にも通ずる思念がこのプロジェクトにはあります。

面接時、

『ジャズやコンテンポラリー音楽でドラマーとして活躍するあなたが、何故インドで古典音楽を学ばなければいけないのか?それが日本文化や社会にどの様なプラスがあるのか?』

と問われた時。

『僕が見解する限り、現日本の音楽市場はマーケティングの手法から音楽製作の影響力として俄然西洋的な技術やセンスの影響でパッケージングされてきたものが圧倒的に多いと思います。地理的にも文化的にも極東アジアに位置する日本が、この先国際化が進む社会の中でアジアの奥深い文化ルーツをより一層取り入れ、文化交流の糧にしても損はしないと考えます。また、その様な多様な感覚から生まれる新しい社会の通説概念の変容、
進化が今後の日本社会に良い影響になることを信じています。そのきっかけを作りたいと思います。』

20分程の密な面接内容は割愛させて頂きましたが、この様なところを主旨として述べたところ文化庁から支援されました。

その時から育んできたインドでの貧困層の子供達との関わりを無駄にしたくないとの思いでこの度クラウドファンディングのプロジェクトを初めて立ち上げてみました。

インドの子供達には僕が音楽的なメッセージや技術を与える事で大いに喜ばれましたが、本当のところ僕自身が彼等に生きる力やこの不平等な世の中を進んでいく勇気を頂いていました。
何も無い彼等こそが、お金や物質的なものでは変え難い何かを僕にいつも与えてくれていたのです。
言葉では形容詞し難いそんな何かって、本当の価値があるものだと思うのです。

今回支援して頂いた方々の中には決してお金に余裕がある人では無い方も幾人居たのは心得ています。

沢山ある時に他に渡すより、何も無い時に渡したものの方が価値があると、何かの格言か、聖書の一句かで見た覚えがあります。

今回そんなエネルギーの循環が、国や言語や文化をこえて廻っているのだなと感じ感無量です。

このプロジェクトに乗る想いが良き未来に繋がります様に。

感謝の想いを込めて。


# by koomuraa | 2020-02-01 12:07

消費される音楽。そうでない音楽。

資本主義の燃料ってなにかなって考えたら消費なんですね。
これを大筋だと仮定して異議を唱える人は殆ど居ないかなと思います。

そして、今の世界はそれをフィードされるエンジンがマックスで稼働した末オーバーヒートし始めてる様にも感じます。

数字が結果を出す。
テストの高得点。
売上高。
GDP何%上がってるか。
利益は。
言い方は違えど全て数字の結果を求められるところに集約する。

そして、文化や芸術はそれらに沿った人々の意識が反映されるので、マジョリティー(大衆または大勢の人々)はそれらに動かされ、その動きが弾き出す数字(売上や再生回数、ひと昔前まではテレビが市場独裁してたので視聴率ですかね)の印象で何が価値があるか自動的に決められていく流れが出来上がっていく。
自分で選択しているようでも、そうでない現実世界が展開しているのが今を生きている一つの設定条件なのかなと思う特異な時代、そしてある意味価値観の変換期なのかなと思います。

大量に消費される=売れる

とすると、

さほど消費されてない=売れない

ものとされます。

音楽も売れてるものとそうでないものがあり、
こと表現芸術においては必ずしもクオリティーが売れるものに繋がるとは限らない。

あるもの凄く売れているアーティストが、

『日本ではサビがない音楽は売れないから。』

と事の本質を突く事を言っていました。
つまり、ある法則、型に準じていないと大勢の共感は得られない。と言う風に解釈出来ます。

ではその型を逸脱すると、
『なんだろう、これ?』
『よくわからない。』
のゾーンに落とし込まれやすいのかもしれません。

それはある意味無知性の時代の象徴かもしれないと、心配になる事もあります。
何故なら知性とは、あらゆる現象に対し自ら考え、観察し自ら持ち合わせた知識と照らし合わせて答えにならない答えを導き出していく事。
ダヴィンチ、タゴール、ソローなど時代を象徴した知の巨人たちはこれをよく理解していたと思います。

ブルース・リー。
格闘家よりも哲学者として敬意を払う自分としては彼の下の言葉、

『型を持つな。水のようになれ。水はカップに入ればコップになる。花瓶に納めれば花瓶になる。何よりも静かにも振る舞え、何よりも荒く猛々しくもなる。型を持つな。水の様になれ。』

という言葉が好きですが、今の時代に必要なアドバイスかなと。
マクロで起きてる現象と、ミクロにしか過ぎない僕達一人一人の個体は何を感じ何を体感しながら生きていくのか。

無理に形におさめると、壊れてしまう事もあるので。

型のない美しい音楽の追求を今後もしていきたいと思います。
その為には型や基礎への回帰もしっかりしていかないといけないので、何事も廻っています。クルクルと。狂々と。
輪廻ですね。



# by koomuraa | 2020-01-07 18:20 | thoughts

CAMPFIRE掲載のクラウドファンディングについて

こんにちは!

この度CAMPFIREのサイトでインドの貧困層の子供達に音楽交流を届けるというプロジェクトを掲載させて頂きました。


サイトのページにプロジェクトの概要等書かれていますが、こちらでこのプロジェクトに至るまでに自分が国内外で活動して感じてきた事の一部インド辺を少しだけ記録しておきたいと思います。

あらゆる価値観が変容しながら貧富の差が広がり続けている昨今ですが本当に意味のある人と人との繋がりとはどこにあるのでしょうか?

ネットの数字の印象で発信されたものでその発信物の価値の印象が勝手に決められ、さらにはAIの登場により物凄い速度で進化する無数のアルゴリズムにより人は自分自身で考えているつもりでも、勝手に分析されてフィードされた情報の水槽の中で泳いでいるだけという状態に居る人も少なくないのではないでしょうか。
(少なくとも自分もそうなのではないかと、いつも疑ってます。)

そんな中で僕はとある縁でインドのスラム出身の子供達にボランティアでリズムのワークショップをする機会に恵まれました。

彼等はいつも目を輝かせその時間を楽しみにしてくれてました。
教える事全て、こちらが疲れ果てるまで何度も笑顔で反復練習してくれました。
そして日本はどういうところなのかと心の底から興味を持って聞いてくれました。

一家を支えるお父さんは、
『いつか子供達に日本も見せてあげたい。旅費はどれくらいかかるかな?』

大体の航空券の値段を教えると、
『何年もかかるなー。』と空笑顔だったのは昨日の事の様に思い出します。
(お父さんの月収は1万円程です)

そんな子達も10代半ばになり、純粋に音楽に打ち込んで来たせいか、地域のパーカッションコンテストで賞を貰ったりと活躍する様になってきました。
それでも、彼等の音楽を純粋に楽しむ初期衝動、あの好奇心旺盛な笑顔は変わりません。

世界中にはそんな子供達が沢山いると思います。
そして、個人的にそのほんの一部を見てきて、幸運にも関わりを持つ様になりました。

今回は日本からもう1人、そしてニュージーランド出身のピアニストでオーストラリアで大活躍中のミュージシャン1人の計3人で、そんな子達の原動力になる何かを届けたいと思います。届けた僕らもきっと彼等に何かを教わり、それを僕たちが普段暮らす経済圏の価値観の中で逆フィード出来ると信じています。

宜しかったらご支援頂けたら幸いです。




# by koomuraa | 2019-12-12 17:13

タブラについて

よくタブラについて言われることがあります。

『聴いていると宇宙に誘われているみたいです。』
『意識が無限の何処かに連れて行かれるみたいで。』

など。
なぜこの様な印象を人に与えるのか少し自分で考えてみました。

ムンバイの師匠を訪ね初めて7年の月日が流れました。
その間北インド古典音楽の打楽器であるタブラを習う中の風習やしきたりを肌で感じ間近で体感してきました。
まずタブラのリズムは全て口伝でありそれが何世紀にも渡り伝わっているということが、時の大きな流れを感じる一つの要因ではないかなと思います。
複雑かつ美しい詩の様に紡がれるリズムのお経みたいなものは、先生から何度も何度も教えられます。
それを自分も何度も復唱し反復練習を時間を忘れるくらいするわけです。
先生も自分の先生に何度も何度も教わってきたはずです。そして似た様なプロセスをその先生も、そのまた先生も。
伝えられた弟子がやがて先生になりその弟子に正確に教え、それが時を超えて受け継がれる美しいリズムの裁縫作品かの様に今も紡がれていく。そこに無限の何かを自分自身感じています。
各々が人生で味わった喜怒哀楽も、受け継がれたリズムの中に色として染み込んでいき、それが何世代も続いてきたものが自分の手元に口伝えでまた繋がれようとしている。
本当にちっぽけな自分と、何か大きなものの一部の自分を感じ始めるのです。

稽古中先生が一度自分の胸に手を置き、

『偉大なタブラ奏者はここにはいない。(その後指を天に向けて)何処かの彼方にいる。
その彼方にある何かと繋がれる様に、体を準備することが練習だ。』

とアドバイスしてくれたことがありました。
自分が作り出す何かというより、すでに在る偉大な何かの美しさを受け入れること。
それは、自然だったり、今自分がこの世界に存在する遥か時の彼方から受け継がれてきた何かであったりするのかなと。
言葉にすると抽象的ですが、狙いの定まった口説き文句より遥かに心に響くのでした。

少なくとも自分の心には。

そんな事を感じて頂き、冒頭の様な感想を言葉にして伝えてもらえると、
この混沌とした世界で僕も少しほっとするのです。



# by koomuraa | 2019-12-11 09:22 | mUsIc

AIR Splash魚津2019を終えて

毎年行われているピアニスト中村真さん主催の魚津ミュージックキャンプ。

今年は新たにAIR(Artist In Residence)と名前を変え9泊10日に亘るミュージシャン、ダンサーそして演劇分野の方々が自主的に創作活動を行いながら共同生活をするというイベントにゲストアーティストとして参加させて頂きました。
恒例では講師として招聘されるのですが、今年度からはゲストアーティストという呼称に変わり、それもこのAIRが生み出したい価値観に基づいているのかと思います。
何かを教える事は個人のフィルターを通じた絶対的な知識を提示するのではなく、対等な立場で知識を共有する事。教える側こそ学びの初心を忘れず取り組み、学ぼうとする側は受け取る知識から想像力を膨らませ、クリエイティブな疑問を投げ返す事が健全な学びの場と信じています。

それも踏まえて自分個人が取り組んでいる専門分野から新たに開拓しようとしている分野、左脳比重の強い題材から右脳寄りのものから満遍なく議題を変えてあらゆるセッションを展開させて頂きました。

自分はリズムの探求を続けているので、その素材となる音符の世界を顕微鏡にかけ、3連符、5連符、7連符、またはそれらを割り切れない数で分割(例えば5連符を3つで割ったり4つで割ったり)する事によってどの様なリズムの模様が生まれてくるのか、を主に題材にしました。リズムは周期であり、身の回りに無数に存在しています。地球の回転周期からカレンダー、時計の針、デジタル時計の数字から砂時計、腹時計。ありとあらゆる輪廻の中で人は何かを想い、感じ、行動しては眠り、生きては死んでいく。森羅万象すべてのものが様々な周期で廻っていると考えても良いかと思う中で、極めてミクロな拍をどの様に割って装飾したら何になるか。どんな感情を刺激するのか。思考を疲れさすのか、目覚めさせるのか。と言うところを考えてこの分野の僕なりの視点からのセッションをしました。これらの感覚を少し広げる意味でもインドのリズムサイクルについても触れされて頂きました。北インド古典の16拍、10拍、7拍サイクルのデザインを感じる事で事の周期性を考えるきっかけになれればとの意図でした。

上記を左脳的な作業と考えると、それにカウンターバランスさせる為に右脳的な部位を刺激する瞑想セッションも行いました。ロジカルな分析からの明確な説明のない意識の世界のマッサージとでも言えば良いでしょうか。
結果左脳的なトレーニング取り組むための一種の思考の浄化作業でもあるので左右のバランス取りに良いかなと思い取り入れました。不思議なもので参加者の方々はこのセッションが終わってやたらすっきりしていたり、脱力しきって起き上がらなかったり、そのまま眠ってしまったりなど、それぞれユニークな出口が待っていました。

他には、自分1人の主観をずっと垂れ流すのもアンバランスかと思い、近年僕が渡印中何度かインドを訪れてくれているギタリストの生島くんと対談形式を取る事により、インドならでは感じ取れる体験談を通じた意識の変容、気付き、己の中での何かしらの悟りを彼のフィルターを通して皆さんと共有してみる機会も設けました。

ゲストアーティスト枠のワークショップでは『時間』感覚について主観と客観の並列や、「時」そのものを取り巻く数字の法則について、そしてそれぞれが感じる「時」の中で何に焦点を当てて調和的なものを創れるかなど参加者に実験参加して頂いたり、音楽を聴く時間の中で感じ取る時の流れの印象の違いなどを味わって頂きました。

これでもかなり要約した方なのですが、振り返れば色んなアウトプットとインプットのソケット作りのきっかけを提供したいという気持ちでワークショップやセッションをデザインしていたら、この様に至ったまでです。

自主性を重んじるのがこのAIRの価値。
情報過多な現代社会。リアリティーのある経験やコミュニケーションが希薄になりつつある中で表現をする事から周りの人達とどう関わり調和できるのか。もしくわ、不調和が生まれてもそこから何を考え立体的な視点に昇華していくのか。

それらを信じこの様な場所を提供してくださった中村真さんはじめスタッフの皆様に心より御礼を申し上げます。

ありがとうございました。

# by koomuraa | 2019-09-21 16:22