大村亘 ドラマー/作曲家 


by koomuraa

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
iNtErViEwS
thoughts
InDiA
cD rEvIeWs
LeSsOn
mUsIc
tRaVeLs
未分類

以前の記事

2017年 09月
2017年 06月
2017年 04月
2016年 12月
2016年 05月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 08月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 08月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 10月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2010年 10月

フォロー中のブログ

メモ帳

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

魚津ミュージックキャンプ20..
at 2017-09-26 00:20
You Already Know
at 2017-06-23 15:44
5度目のインド
at 2017-04-26 00:20
新宿PITINN
at 2016-12-18 11:25
先生について
at 2016-05-07 23:54

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

<   2014年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

インドというレンズで物事を見せられるということ

インドと言っても、一括りに出来ないところがこの国の魅力の一つだと、この土地に身を置いてはじめて思い知らされます。
公用語は軽く10言語を超え、伝統芸能は地域により違い、芸術や学問も太古の知識が残っていると思えば、西洋の技術を取り入れたものも急速に発達してるところも見えます。
語り始めたら切りがないですが、ひとつここで学んだ大事なことは。

『眼に見えるものをありのままで判断してはいけない。』

という事でしょうか。"Never judge a book by it's cover"という有名な格言がありますが、インドでの生活では日常の様々なところで思いがけない形で思い知らされます。

一つこちらで目撃したことを挙げたいと思います。

先ず、インドには物乞いが沢山居ます。しかも肉体的に見た事の無いような形の人が多々存在します。
片腕しか無い人、体中の筋肉が萎縮してしまってる人、下半身が無い人、体の構造そのものが運命の車輪の様に変形してしまってる人、アメーバ人間みたいな人。。。。。
挙げ始めると切りがないです。

その中で片手しか無い少年が居ました(おそらくかなり居るのでしょう)。両足、左手が無いです。
そして、駅の階段に座り物乞いをしています。

ある日駅のプラットホームでその少年を見かけました。
あの体で電車に乗るのは無理だろうと思っていましたが(ムンバイの電車とホームの間で段差がありその少年の身体能力では乗降は難しそうでした)
彼は自分の体をデッキに乗せた片手でひょいと持ち上げ難無く乗車し、溌剌とした表情で他の乗車客と会話をはじめました。

驚かされました。
実は内心不憫な思いで彼を見ていたので、そんな自分が急に恥ずかしくなったのです。
あの体で大変そうな行為を軽くやってのける様になれるには、彼なりの険しい道があったはずなのですが、なんとも朗らかに体を上手く使っているなと。思い返せば、駅の階段に居る時も、眼は澄んで落ち着いた表情でした。物乞いをするための階段の上り下りも毎日自分でやってる様です。

混沌とした環境の中で自分に与えられてる物の範囲の中で生活を紡いでいる少年の一面が見え、考えさせられました。

見た目よりも彼は周りの多くの人より幸せなのかもしれないなと。
あくまで個人的な憶測ですが、彼の振る舞いを見て少なくとも僕はそう感じたのです。

今生きる世界では知らず知らずのうちに今より何か良い物があるのではないかという錯覚に陥れさせられる様な気がします。資本主義から来る消費社会の性なのでしょうが、己、または人の価値はどんどん情報や数字(キャリア内容、収入、所有物)等に集中を余儀なくされてるような気がします。

そんな中で見たその少年の振る舞いはその『刹那』叡智に富んでいました。
そして、刹那と言いましたが、そういった類いの叡智は街中に転がっているんです。
午後のひと時には家の無い人々が道路で、幼児はズボンも靴も無く、無邪気に走り回り、お母さんは道ばたで果物を剥いたりしていますが、とても楽しそうな家族団欒が出来ています。
混雑した電車内で掴むつり革が無くなると、他の人の手は自分の持ったつり革に覆い被さってきます。
最初はびっくりしますが、自分が他の人の手の上からつり革を持っても何事も無かったように振る舞います。

その時、その場所で限られたものを共有する精神でしょうか。。。

このようにパラダイムを変えられると、もう後戻りは出来ません。(良い意味で)
インドに限らず世界中どこでも、表面的に見える事象は自分の見方一つでどんな物にも変わると考え始めたのです。

日々難しいタブラの課題と向き合って、日の出から日の暮れまで練習してもどうしても綺麗に出ない音、なかなか音楽的に発動出来ない内容のものがあり、先生に悩みを打ち明けた事がありました。

返って来た言葉は、

『カルマ(行い、修練等)に集中してるからそれで充分ではないか。『果実』(結果)は君が気付かない時に成り、必ず自然が還元してくれるよ。』

目の前に与えられてる事に集中出来る事。
それだけで至福の幸せなんだなと、先生からも教わりました。
そして、彼の演奏は太古の叡智がぎっしり詰まっていて、何百年も先を行った未来の音楽にさえも聴こえます。
歴史上の偉業を成し遂げたアーティストに引けを取らない知恵、時間や文化さえも超えて、純粋に力強く、自然で、美しい表現力。そんな彼の言葉には置き換えがたい説得力を感じました。

またまた、お金では買えないレッスンを受け取った気がします。

そんな事を胸に留め、今日も明日も、明後日も、はたまた死ぬまで僕は『音楽』という賜物と向き合って行ける事の幸せを再確認したのでした。
写真は路上でリラックスする牛(とても幸せそうです)と、パワーみなぎるムンバイの街路樹。
e0210611_1311670.jpg
e0210611_1304297.jpg

[PR]
by koomuraa | 2014-03-20 13:07 | InDiA

インドというレンズで物事を見せられるということ

インドと言っても、一括りに出来ないところがこの国の魅力の一つだと、この土地に身を置いてはじめて思い知らされます。
公用語は軽く10言語を超え、伝統芸能は地域により違い、芸術や学問も太古の知識が残っていると思えば、西洋の技術を取り入れたものも急速に発達してるところも見えます。
語り始めたら切りがないですが、ひとつここで学んだ大事なことは。
『眼に見えるものをありのままで判断してはいけない。』

という事でしょうか。"Never judge a book by it's cover"という有名な格言がありますが、インドでの生活では日常の様々なところで思いがけない形で思い知らされます。

一つこちらで目撃したことを挙げたいと思います。

先ず、インドには物乞いが沢山居ます。しかも肉体的に見た事の無いような形の人が多々存在します。
片腕しか無い人、体中の筋肉が萎縮してしまってる人、下半身が無い人、体の構造そのものが運命の車輪の様に変形してしまってる人、アメーバ人間みたいな人。。。。。
挙げ始めると切りがないです。

その中で片手しか無い少年が居ました(おそらくかなり居るのでしょう)。両足、左手が無いです。
そして、駅の階段に座り物乞いをしています。

ある日駅のプラットホームでその少年を見かけました。
あの体で電車に乗るのは無理だろうと思っていましたが(ムンバイの電車とホームの間で段差がありその少年の身体能力では乗降は難しそうでした)
彼は自分の体をデッキに乗せた片手でひょいと持ち上げ難無く乗車し、溌剌とした表情で他の乗車客と会話をはじめました。

驚かされました。
実は内心不憫な思いで彼を見ていたので、そんな自分が急に恥ずかしくなったのです。
あの体で大変そうな行為を軽くやってのける様になれるには、彼なりの険しい道があったはずなのですが、なんとも朗らかに体を上手く使っているなと。思い返せば、駅の階段に居る時も、眼は澄んで落ち着いた表情でした。物乞いをするための階段の上り下りも毎日自分でやってる様です。

混沌とした環境の中で自分に与えられてる物の範囲の中で生活を紡いでいる少年の一面が見え、考えさせられました。

見た目よりも彼は周りの多くの人より幸せなのかもしれないなと。
あくまで個人的な憶測ですが、彼の振る舞いを見て少なくとも僕はそう感じたのです。

今生きる世界では知らず知らずのうちに今より何か良い物があるのではないかという錯覚に陥れさせられる様な気がします。資本主義から来る消費社会の性なのでしょうが、己、または人の価値はどんどん情報や数字(キャリア内容、収入、所有物)等に集中を余儀なくされてるような気がします。

そんな中で見たその少年の振る舞いはその『刹那』叡智に富んでいました。
そして、刹那と言いましたが、そういった類いの叡智は街中に転がっているんです。
午後のひと時には家の無い人々が道路で、幼児はズボンも靴も無く、無邪気に走り回り、お母さんは道ばたで果物を剥いたりしていますが、とても楽しそうな家族団欒が出来ています。
混雑した電車内で掴むつり革が無くなると、他の人の手は自分の持ったつり革に覆い被さってきます。
最初はびっくりしますが、自分が他の人の手の上からつり革を持っても何事も無かったように振る舞います。

その時、その場所で限られたものを共有する精神でしょうか。。。

このようにパラダイムを変えられると、もう後戻りは出来ません。(良い意味で)
インドに限らず世界中どこでも、表面的に見える事象は自分の見方一つでどんな物にも変わると考え始めたのです。

日々難しいタブラの課題と向き合って、日の出から日の暮れまで練習してもどうしても綺麗に出ない音、なかなか音楽的に発動出来ない内容のものがあり、先生に悩みを打ち明けた事がありました。

返って来た言葉は、

『カルマ(行い、修練等)に集中してるからそれで充分ではないか。『果実』(結果)は君が気付かない時に成り、必ず自然が還元してくれるよ。』

目の前に与えられてる事に集中出来る事。
それだけで至福の幸せなんだなと、先生からも教わりました。
そして、彼の演奏は太古の叡智がぎっしり詰まっていて、何百年も先を行った未来の音楽にさえも聴こえます。
歴史上の偉業を成し遂げたアーティストに引けを取らない知恵、時間や文化さえも超えて、純粋に力強く、自然で、美しい表現力。そんな彼の言葉には置き換えがたい説得力を感じました。

またまた、お金では買えないレッスンを受け取った気がします。

そんな事を胸に留め、今日も明日も、明後日も、はたまた死ぬまで僕は『音楽』という賜物と向き合って行ける事の幸せを再確認したのでした。
写真は路上でリラックスする牛(とても幸せそうです)と、パワーみなぎるムンバイの街路樹。
e0210611_1311670.jpg
e0210611_1304297.jpg

[PR]
by koomuraa | 2014-03-20 13:06 | InDiA

インド洗礼を受ける西口明宏くん。

インドにやって来た西口君、
早速ちょっとファンキーな路上屋台のラッシー屋さんへ。。
e0210611_5573924.jpg

e0210611_5571458.jpg

『ここの大丈夫なの?』
e0210611_5561652.jpg

『うお。。。。』
e0210611_5533347.jpg

『めっちゃ美味い〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!』
e0210611_5525196.jpg

『魚も手で食うの?』
e0210611_5513628.jpg

『何これ!?美味すぎる。。。』
e0210611_551094.jpg

『いふぁふぁふぃまふ。』
e0210611_5502823.jpg

『ア〜〜〜〜〜〜』
e0210611_5495333.jpg

『なんやねんこれ!?』
e0210611_5485068.jpg

『美味いからもう路上でもなんでも来い。』
e0210611_5474992.jpg

『やっぱ美味すぎる〜〜。』
e0210611_547422.jpg

『なんか変な色のラッシーやけど。。。』
e0210611_5461819.jpg

『んんんん〜〜〜〜〜〜』
e0210611_5425435.jpg

『あへ〜〜〜〜』
e0210611_5414977.jpg

『手で食べるのは食材の本来のぬくもりを感じ取れてええな』
e0210611_541187.jpg

『ああ、もう最高や。。。。』
[PR]
by koomuraa | 2014-03-06 06:12 | InDiA