大村亘 ドラマー/作曲家 


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at 2016-12-18 11:25
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新宿PITINN

【新宿ピットイン】

地下へ降りる階段は二つある。

どちらから降りるかに因って店内に入るときの空間に対する認識も変化する。

玄関と裏口がその建物の印象を変えるように。

店内に入ってステージを客席から見て左側に控え室がある。そこでの時間の流れは、すぐ先に控える『表現の時間』一点に向かっている。

控え室から対角線上の部屋の隅に広告棚がある。

そう遠くない未来に行われる、著名から無名な音楽家達の様々な音楽会の控え室。それぞれの向かう時刻は複数の散りばめられた点。しかし、各々が自己と向き合い、なにかしらのアウトプットに向かうという時のベクトルは共通してる様に感じる。

最後列のさらに後ろから眺める景色は、ステージから眺める景色と奇妙な共通点を擁す。

薄暗がりの中で見る客席に集う人々の正面と、後ろ姿は、その人が誰とは特定しがたいが故に、知ってる誰かに見えてしまう奇妙な現象が起きる。

己の中で投影したいなにかなのだろうか。

それが過去からの記憶なのか、未来に寄せる想いからなのかは定かではない。

ここで行われる『表現』という現象の創り手も、その受け取り手も似たような認識と時間の垣根の払拭を経験する気がする。

音が出た瞬間、それはもう過去であるが、同時に未来も司っている。

無数に散りばめられた過去と未来。
時間の概念は普遍性を説いているが、時間のそのものの可能性は、きっと無限なのだろう。

この空間を出るときも、昇る階段のオプションは二つある。

どちらを選択するかに因って、土産として持ち帰る感覚も微かに違う。


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# by koomuraa | 2016-12-18 11:25 | thoughts

先生について

連休明け仕事に戻るのが楽しみで仕方ないという方々。
休みが永遠に続けばいいのになと考えてる方々。
その両極の間のどこかに浮遊している方々。

そんな時間の中で僕がインドで聞いた少しほっこりするようで、
心をくすぐられるお話しをシェアしたいと思います。

僕のインドのタブラの先生Pandit Yogesh Samsi(以下YS)さんは幼い頃からインド古典音楽界の伝説的なタブラ奏者Ustad Alla Rakha KhanSaheb(以下AR)に幼い頃から見込まれ修行に取り組んでいました。
当時ARさんの息子Zakir Hussain(以下ZH)がインド古典業界で一世を風靡していた頃で、今世紀最高の天才とあがめられていました。やがて世界に出ていきジャンルと国境をまたいで数々の伝説的な演奏を記録していくのですが。。。

当時のYSさんは彼に追いつこう追いつこうと必死に練習していました。
聞くところによると学校の無い日は夜通し明け方まで(僕もこの練習メニューに付き合ったことありますがとてもハードです)

ところが憧れの天才のZHさんの師匠で自分の師匠でもあるARさんには怒られてばかりだったそうです。
何度やっても先生の満足を得られない果てには、

「お前にはこれは一生出来る様にならないんじゃないか?もういい。帰れ!」

とまで言い捨てられたそうです。

へこんだYSさんは数日間レッスンに行かなかったそうです。

その数日後、師匠のARさんから電話があり、

「今すぐ来い。今日はRavi Shankarさんの伴奏仕事だ。同行しろ。」

破門寸前だと思って気が乗らなかったYSさんはそれでも師匠の呼び出しなので出向きました。

タクシーに師匠と同乗し、最初に行き着いた場所はコンサート会場ではなく、YSさんの父(今は亡きPandit Dinkar Kaikini。著名で方々から尊敬されてた古典声楽家。)の当時教えてた音楽学校の彼の校長室でした。

「お前はここで待ってろ。」

と父の事務所の前の廊下に立たされたYSさんの心境は、

{きっと、もう僕に教えることは無い。稽古に息子をよこさなくていいと父に話してるんだろうな。。。}

と思ったそうです。

ほんの数分で出てきたARさんはYSさんを連れそのままコンサート会場に向かったそうです。
その日ARさんとYSさんの父の間で交わされた会話は明かされませんでした。
その日からもずっとARさんはYSさんを厳しく教えたそうです。

時は流れて25年。。。。。。

そのとき僕の先生のYSさんはインド古典業界で類を見ない実力者に成長していました。
世界中に弟子も居て大天才とあがめられていたZHさんも、

「父の伝統は私より彼、YSの方が熟知してものにしている。」

と絶賛するほどに。

師匠のARさんは他界もされていました。

ある日YSさんの父が、

「お前がまだ稽古真っ只中の時、一度ARさんがお前を廊下に待たせ私に会いに来た事を覚えてるか?」

とYSさんに問いかけました。

「もちろんです。とても不安な気持ちで廊下に立ってました。」

「あの時ARさんは、

{そこの廊下に立っている少年は、今世の中を騒がせている私の息子ZHとなんら変わらない素質を備えている。父としても見守ってやってくれ}

と私に告げてくれたんだよ。」

と。

長い間息子が成長する中で、真の成長の路線に定まった息子を見るまで、その太鼓判を伝えるのを長年待ったYSさんの父の偉大さに心打たれました。

そして先生とここ数年接してきた僕個人の解釈ですが、
彼は名声や周りの評価などに興味が無い人なのです。
それよりも重要なものがあるということを彼の父から教わったのだなと感じました。

今でもYSさんのご自宅には亡き父Dinkar Kaikiniさんの大きな写真が飾ってあります。

その容貌はとても奥深い瞳で優しい笑顔でなんとも言えない恍惚感にあふれています。
いつもインドでの修行が終わると先生の自宅に晩御飯に呼ばれます。
食前酒を彼の父の大きな写真が飾ってある居間で雑談しながら頂きます。
その空間の温かさは、僕が今までの人生で味わったものの中で最高のものです。

生きる中で何事も表面では悲しいことや、辛く耐え抜かなければならないことの裏にはとても大きな教えが含まれていると思います。

辛抱強く誠意をもって向き合うことの価値は万物万人に共通することなのかもしれません。
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# by koomuraa | 2016-05-07 23:54 | InDiA

2016年インド滞在を振り返って

毎回インドに来て驚かされる事は、

いままで経験した事の無いなにかを見せてくれること。

それだけこの国がありとあらゆる社会の層、人種、それに伴う色彩豊かなな文化と言語で溢れているという事でしょう。

ふと気付くと自分は、
グジャラート人の家に下宿しており、
先生の一家はコンカニー人、
仲良くなった友人達はマハラシュトラ人、ベンガル人からケララ人まで多彩でした。

良く観察すると、それぞれの人種的特徴もあるし、勿論言語は違う。

なのでインド内ではヒンディー語は英語の様なもので、インド人同士、英語がだめならヒンディー語逆もまた然りとデフォルトの公用語が二つでバトンタッチしてる光景が観察出来ます。(勿論南インドに行くとヒンディーはあまり使われてないので話が変わってくるのですが)。

そんな中人間観察に最適の場所の一つはムンバイの電車。色んな階層の人々が乗り込んできます。
僕はいつも2等で移動してるので、乗ってくる人たちのバリエーションはことさら豊か(2等列車の切符は激安なので)。

そんななか盲目の唄うたい兼打楽器奏者と遭遇しました。

言葉で音楽の素晴らしさを語るのは非常に難しいのですが、なぜなら言語の擁する特徴やルールがどこかで音楽の源泉にフィルターをかけてしまう場合があるので。しかし、この人については自分なりに描写してみたいと思います。

ドールという両面太鼓を首からぶら下げた彼は自分でリズムを打ち出しながら歌っていました。

そしてその音楽の純粋な事。

心臓を鷲掴みにされて、涙腺を絞られる様な感覚。

そんな感覚に襲われました。

ただただその場に居る彼の音楽に一瞬で入り込んでしまいました。

魂が裸。

その周りにいた人々も彼の音楽に何かを感じたのでしょう、次々に盲目の彼のポケットや手にお金を恵み始めました。

お金を貰い始めても彼は歌う事を止めません。
そして、よく見ると光の入らない彼の目からす〜っと一線の涙が頬を伝うのが見えました。

その瞬間僕の頭の中には色んな事が巡りました。
盲目の人がムンバイでなんとか電車に乗り込む苦労。
日々の生活で容赦のない環境で感じるストレス。
ギリギリの貧困の中で太鼓と声しか無いのでその中で精一杯音を出すこと。

人としての彼の噛み締めてる酸いも甘いも全て音にぎっしり詰まっていました。

様々な逆境の中での報酬として、見えない知らない人々にお金を貰う喜びの涙だったのかもしれません。
終わったら深々とお辞儀をし、降車して行きました。

あまりにシンプルで美しくて僕は暫く茫然としていました。

ここまでただひたむきに音を出せる事ってなかなか無いなと。
世界の厳しさ、醜さを沢山経験しても、音を出す時は無邪気な子供の様に居られる。
そして、ほんのわずかな報酬でも喜びの涙が溢れる位、自分にとって必要最低限の環境の中で心のそこから幸せを感じる瞬間があるという事。

人として自分にも他の人の中にもこのような事を見出せたら幸せだろうなと思いました。

この世界に身を置いてると、知らず知らずのうちに常識やルール、自分の敷いてしまったこだわりのレールまたは他の人に敷かれたレール等に捕われてる事さえ気が付かずに一生を終える事もあるでしょう。

そんな目まぐるしい世界の中で、時間が止まり、ふと大切な何かに気付かせてくれる瞬間がインドには沢山あります。

目を凝らして自分が歩んでる道を幽体離脱した様な感覚で眺められる瞬間というか。なんというか。

絶望も希望も悲しみも喜びも表裏一体のコインの様に。
そんなコインが空中でくるくる回りながら四方八方に浮いてる様な光景が広がってる様に感じます。

今回の滞在を終えてみて、
突き詰めれば突き詰める程、自分の無知に気付かされます。

なので、まだ僕はこの国について何も知らないのかもしれません。
なので、きっとまた戻ってくるでしょう。

感謝の気持ちだけこの土地に残して。
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# by koomuraa | 2016-03-22 13:04 | InDiA

街角で

一昨年、毎日のように見かけた、両腕の無い子供。
錆びた薬缶を縫い付けられたホックにぶら下げてお金を目で訴えてたのが印象深い。

あの子はもう居ない。

どうなったかは概ね検討が付く。
手が無く、身寄りが無い子供がムンバイで生きて行くのは想像以上に過酷であろう。

ひとつ、言えるのは、苦しい中でもあの子は『瞬間瞬間』を生き抜いたのかなと。
他人の状況を正確に把握する事等無理なのは承知な上での憶測だが、少なくともそう思いたい。
あの子にはそうする以外に生きる術は無かった様に思える。

そのせいか瞳はとても綺麗だった。
哀しげだったが、曇っていなかった様に感じる。
あくまで僕個人の楽観視だが。。。

僕らは過去の遺産、またはお荷物、そして未来への希望または失望というこれまた別の荷物を背負って毎日を過ごしている様に思える。

僕らが正しいと思ってる事、間違っていると思っている事は、
個人、家族から始まり、その延長上の職場や社交現場を超えた歴史や文化という大きな流れの中で長い時を経て形成されて来たものであることは明瞭である。

テクノロジーが進歩するにつれ、
巨大な情報網の中で生きていると自分と向き合うのは至極困難な事の様に感じる。

自分にとって本当に必要な情報でさえも様々なフィルターを通され変形してやってくる。
そして、四方八方から色んなしがらみに揉まれながら生きることを余儀なくされるから。

音楽も過去の遺産を表面上の語法を真似ていては感動するものは召喚出来ない。
そこに真に感動するのはその語法を知る者のみか、流行に敏感な人達のみである。

だからといって歴史や言語から抽出出来る知識を無視してもいいと言っているわけでは無い。
何を経てそこに至ったかを知るのは『知識』として必要だがそれを真の『知性』に昇華出来るのは極めて一部の人間のみ。

自分はそこに憧れを感じる。

話は冒頭に戻るが、身寄りも無い子供が、
スラムのギャングの商売道具に両腕を切られ、
毎日路上で昼寝しながらお金を集めて人生を全うした。

目の前でそれを見ると、
自分の出す音に沢山の疑問が押し寄せて来るのと同時に、
ある種の覚悟を問われてる様な氣がする。

あの子と頻繁に遭遇したのは偶然とは思えないので。
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# by koomuraa | 2016-02-18 15:01 | thoughts

4度目のインド

久しぶりのブログ投稿です。

さてさて、今回は文化庁の新進芸術家海外研修制度の研修員としてインドに来てますが、
出鼻をくじかれるかの如くの発熱、下痢、嘔吐。
年末から正月にかけての世間のお祭り気分がまだしたりないのかという位(自分は怪我明けなのでおとなしくしてたのですが)ド派手に爆発しました。

これぞ俗に言うインド洗礼でしょうか。

思えばこの4年間、ここまで派手にインドに歓迎された事はなかったです。(欧米ではWelcome Showerと呼ばれてます。)後ろから前からスーパースプラッター映画状態です。
ここまで書いてしまえば笑えて来るのと、食事中の方がこの文章の部分に到達する前に先読みして既にページを閉じてる事を願ってます。

まあ、グロい話はこれくらいにしておいて、こちらに来るとやたら刺激が多いです。
やはり、ここは特殊な場所だなと。

税関ではパスポートチェックの際に20秒程本気の祈りを目の前でされました。(はい、背広を来ている公務員に。)

レストランで食べてたらいきなり路上の物売りがづかづか入って来て、僕と友人が座っているテーブルのナプキンを取り出し、そこにテーブルソルトをふんだんに盛り、包んで、ポッケに入れて、優雅にレストランを出て行きました。
店員さんも見てますが何も言わず。

なるほど、これもここでは有りなんだなと思い早速自分でも実験に移してみました。
相席で食事中、向いのインド人のおっちゃんのランチに付いてるピクルスと生タマネギとレモン(インドでオーダーするとデフォルトで出てくるのですが)に手を伸ばし食べてみてもな〜〜〜んにも言われません。

電車に乗ると恒例のオカマ登場。
その日は小銭持ってなかったので寝たふりをしてたら,
『寝てんじゃねーよテメー』とヒンディー語で言われ、頭ど突かれました。
あのヒジュラ(オカマ)からは祝福は貰えなさそうです。

そんなこんなでまだ一週間も経ってないですが、もうこちらに長い間居る感じがします。

こちらに来て強く感じるのは(主に日本に居る自分との比較から来る感覚なのでしょうが)

何の為に音楽やってるのかなと。
幼い頃から、日本を外と中から交互に見る様な環境で育った自分は(それも何度も)どうやら一つのパラダイムに属すのが苦手な様です。

ある意味、同じ場所に居ると、その場所に存在する人間や文化の虹模様のどこかに位置づけされてしまう様な気がしてならないのですね。

赤の部分も黄色の部分も青の部分も緑の部分も、それはそれで素敵ですが、虹のグラデーションを縦横無尽に行き来出来る生き方を出来るならとても愉しいだろうな。と、育ちの背景が自分をそうかき立てるのでしょうか。

ドラムが上手い人は腐る程居る。アメリカに行けば日本では天才天才と騒がれてる人も大勢の魚の一匹に過ぎないのは一目瞭然。

タブラにおいてもインドの外では(ロンドンやニューヨークやその他の主要文化都市)それなりにすごい稀少のタブラ奏者だともてはやされてても、インドで無名の若者でどうやったらそんなに楽器が上手くなるのですか、というほど目から鱗の人はわんさか居る。

クラシカル音楽においては更に広い海が広がってたり。

そうなると、自分の価値観ってとても小さな世界でしか通用しない限定通貨みたいな所も有るんだなとさえ思えて来ます。

昨夜は本国ではそこそこ著名なイタリア人の強力なアルトサックス奏者とライブでした。
彼はヨーロッパのみならず、インド、中国、アフリカ、オーストラリアとこの数年間ずっとツアーしっぱなしらしいですが、何故旅を続けるのと聞いたら、

『自分の物語が無い音楽家はどんな音を出しても結局説得力が無いから、自分しか伝えられない物語をいつも探しに。』

良い意味でイタリア人らしく、少しロマンチックに臭い言い回しでは有りましたが、共感出来ます。

矛盾している様ですが、
自分が大事にしている現実を捨ててしまうくらい思いっきりがないと見えない本質に到達出来ないのかな。

今回僕は腕を折って、演奏出来ない時期を経て、果たして元の能力に戻して行けるのかという懸念のお土産付きでインドに来ています。

この旅の先に何かが見えるのでしょうか。
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# by koomuraa | 2016-01-10 18:28 | InDiA